闘病中だった母が、あと数日という最終的な余命宣告を受けた頃のことです。
いつも通り母のお見舞いに行ったときに、看護師さんから呼び止められ尋ねられたのは「もしもの時、どこにお願いするか決めてありますか?」ということでした。
亡くなった後、すぐに遺体の搬送などの手配をしなければならないので、どこの葬儀社に頼むのか決めておかなければならない、と。
宣告の通り、数日で母が亡くなると、しなければならないことが次々押し寄せてきました。
父は高齢で体調を崩しており、私と姉ですべて準備しなければいけません。
まず直後に病院から、母が入会していた葬祭互助会に連絡をし、遺体の搬送に来てもらいました。
搬送車が実家に到着したときには、担当者も来てくれていて、その日のうちに仏間に遺体を安置し仮祭壇を設置しました。
打ち合わせでは、まず初めに通夜・葬儀の日時を決め、それに沿ってスケジュールを立てます。
日時が決まると、しなければならないことの優先順位を決め、こなしていかなくてはなりません。
具体的には、親戚や知人への連絡をし、参列する大まかな人数を出してから、葬儀会場の大きさを決めます。
その後、葬儀場に宿泊する人の名簿を作り、通夜振る舞いや翌日の朝食の人数も確認。
その間に供花や供物の手配、葬儀委員長お願いの連絡など。
1日目はこうした事務的な仕事や連絡がおもで、他はお坊さんに来ていただき、枕経を唱えてもらいました。
翌朝からは、当日夜の通夜の準備です。
母の略歴の作成、遺影の写真を準備、新聞のお悔やみ欄への掲載手配の電話、香典返しの手配と会葬礼状の作成などをしました。
午後からは納棺師のかたが来て湯灌(遺体を洗い清める作業)。
親戚一同集まって見守り、湯灌のあと棺に納めた遺体を葬儀場へ搬送し、私たちも葬儀場へ移動。
この2日目の午後からは、葬儀場に滞在します。
通夜のあとは当日のお香典の集計確認などをしてから、やっと食事をとり、休みました。
通夜の夜は、ろうそくの灯を絶やさないで一晩中起きているという習慣もありますが、担当者の方からは「翌日も忙しく大変なので、火を消してゆっくり休んでください」と言われました。
それでも、その方は夜中にも何度か遺体のケアをしに来てくれていました。
3日目は告別式のあと、火葬、葬儀場に戻っての繰り上げ法要と、確かに一番忙しく大変で、アドバイス通り休んでおいてよかったと思いました。
それでもすべてが終わってそれぞれの家に帰宅後、姉も私も体調を崩しました。
やっている間は夢中で気づきませんでしたが、かなり無理をしていたようでした。
姉妹二人で仕事を分担し、担当者もよく動いてくれる方でしたが、本当に忙しく大変な3日間でした。
もしもの時に備えて、兄弟や親戚で協力して動いてくれる人を探しておくことや、頼める葬儀社の詳細を調べていつでも連絡できるようにしておくことは、本当に必要だと思いました。