自宅で葬儀を執り行いました

私が今年、40歳になりましたが冠婚葬祭も本当にいろいろな種類で参加する場面がありました。

結婚に関してはどんな種類でもおめでたい席なのでいい意味での印象が残るわけですがお葬式、葬儀となると本当に印象に残る形式、種類はいくつかあります。

 

特に私が印象的だったのは2人の祖母の式になります。

一言でいえば、残された遺族にとってまさしく有意義な葬儀であったということです。

 

まず1例目は私の母方の祖母の葬儀です。

昔ながらの田舎の葬儀で自宅で葬儀を執り行ったのですが、古い慣習に縛られることもなく、残された遺族のためという意識を泣き祖母のわたしの両親も持っていたのです。

田舎の葬儀ながら親しい親族が中心となって祖母が何をしてあげたら喜ぶのかを中心にして考えました。

特に田舎の風習を壊したのは孫やひ孫世代が中心となったスピーチであり、その手紙を棺にいれてあげたことです。

ここにおばあちゃんに対する思いのすべてが詰まっていて、一生忘れられない思い出となりました。

みながおばあちゃんに対してどのような思いを持っていたのか親族だけではなく、葬儀への参列者のみなさんにも伝わりました。そのこと自体が非常に良かったのではないかと感じています。

 

そして、わたしが思い出深いもう一つの葬儀が家内の母方の祖母の葬儀です。

生前からおばあちゃんが葬儀については形式や費用なども決めており、それに従って執り行ったわけです。

葬儀場も自分自身で決めていて、葬儀の前日は親しい親族20人近く集まって止まったわけです。

 

おばあちゃんの棺を囲んでみなで宴会を行うわけです。

見る人によっては少し違和感もあるかもしれませんがおばあちゃんは自分の周りをにぎやかに取り囲んでくれたほうが嬉しいという気持ちが強かったのだと思います。

そして、葬儀に関しても自分が生前に書き残した川柳などを司会者の方に読み上げてもらったり、ひ孫に教えた川柳をひ孫本人に読み上げさせたりするわけです。これでおばあちゃんの遺志が葬儀の場で伝わるということになるわけです。本当におばあちゃんの思いがこの世に残るというという気持ちになりました。

 

いずれの葬儀にしても、遺族の思いよりもなくなった2人の祖母が何を伝えたかったのかが明確に伝わるというところが素晴らしく、その思いが遺族に伝わったことが何よりもポイントになったのではないかと思います。

私自身もある意味、死にざまというものを考える機会になりました。

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